主婦が突然ボイメンのオタクになった話

名古屋の町おこしお兄さんBOYS AND MENの10周年を全力でお祝いするブログ。ボイメン以外のことを書くときもあります。

大失敗しても寛容な気持ちでいるということ

どうも、ボイメン沼の住人okimaiです。

 

今月は父の日がありましたね。実はこの日は、私の夫の誕生日で父の日用のラッピングにしてもらい、イチローズモルトのウイスキーをプレゼント。アイラモルトが好きな夫なので、好みかどうか不安でしたが美味しかったと気に入った様子。良かった。

 

これからも、お互いどんなジジババになっていくのか、いつか命絶えるその日までしかとこの目で見届けてやるぜ!

 

そんなことはどうでもいい。 

私の父親のこと。

 

父との思い出は色々とあるけれど、1番は私が受験に大失敗したときのことだと思う。「ここは受かるだろう」と今思い返せば相当舐めていた1発目の大学受験で、私は周りの雰囲気に飲まれて全くと言っていいほど問題が解けなかった。自分が得意とする英語も、問題を読んでもわからない。静かな受験会場でただひたすらに鉛筆を走らせる音。目の前が真っ白で貧血にも似た様な症状。それだけは覚えている。

 

結果は当然惨敗。そりゃそうだ。だって全然出来なかったんだもん。

 

その日は家から受験会場が近かったこともあって、受験終了後に父が車で迎えに来てくれていて、助手席に乗って父に「どうだった?」と聞かれた瞬間、私は父の前で大号泣。嗚咽レベル。

 

その時、父はその後一切何も聞かずに、ただ黙って車を家まで走らせてくれた。親のお金で受験させてもらえたのに、それなのに私は大失敗してただただ自分の不甲斐なさと申し訳なさでいっぱいで。でも父は、一切私を責めることなく黙ってそばにいてくれた。私の立場になって、寄り添ってくれた。私はその時、人生で1番と言っていい程に父親に感謝した。

 

このことを父は覚えていないかもしれないし、もしかしたら覚えているかもしれないし、父にとってはそこまで大事件ではなかったかもしれない。私自身その後も受験に失敗して人生初めての挫折を味わうこととなったけど、それがなかったら今の自分はなかったかもしれないと思うほどにその後の人生の糧となって今でもよく思い出す。大学受験の思い出は、私にとっては印象深い父との思い出の1つ。

 

自分も親になった今思えば、受験に大失敗した時は父には相当気まずい思いをさせてしまっただろうと思う。しかしながら、どうしてか自然と当時私は「いつか自分が親になるその時は、子供が大失敗しても責める様なことをするのはやめよう。必ず父の様な、寛容な広い心を持って接する様にしよう。(犯罪は除く)」と心に誓っていた。

 

思えば、要所要所人生の大事な決断において父が私の選択肢を否定することは一切なく、自分の思う通りにやりなさい、やりたいことをやりなさいと言い、必ず応援してくれていた。それが自分を受け入れてもらえていると言う安心感や自己肯定感の低い自分ながらも自信に繋がった部分が大きかったように思う。

 

それから時は経ち今、寛容な心を自分が持てているかどうか、自己採点してみたらきっと40点くらい。20年近くかけてもこの有様。まだまだだ。しかもその寛容な心を持って、我が子に接することが出来ているかどうかと聞かれれば、私自身の評価はその半分にも行かないだろう。

 

今、そしてこれからのこの混沌とした社会で、子育てをしていくことがいかに難しいか、子供たちが成長するにつれて子育てに日々悩むことも増えている。いくらポジティブな私でも。それでも将来を悲観するようなことはしたくない。まずは父のように寛容な心でいるように心がけよう。それがきっとこれからの社会、人生において必ず必要になってくると思うから。

 

今週のお題「お父さん」