寛容でいることを息子から学ぶ
どうも、ボイメン沼の住人okimaiです。
以前、寛容であることについての記事を書いたのですが、その件に関してまた思うことがありブログに書いている次第。
長男は学校まで通学班で登校しているのですが、その登校班の中にやんちゃ(と言われているが私たちは関わりがない)男子2人の兄弟がいて、その兄弟がどうやら歩いている時に前を歩く長男に小石を投げたり、傘でつついてくるというようなことがあったらしく。
長男はこれまでもオンオフの切り替えがはっきりしているのか、普段の学校生活についてあまり詳しく話すようなことはなくて、今回の件も通学班の班長さんのママさんづてに知ったことで、私は全く知らず。わお。まじか。
私はびっくりして長男に話を聞いたのですが、本人は「う〜ん、まぁそんなこともあったかもしれない?」と言ったような話しぶりで。そんな対応で私は拍子抜けしたのですが、長男にとってはそれぐらいのことはあまり気にならない、別に興味ないくらいな感じだったんですよね。
私は、「嫌だったら嫌と言う。相手に言いづらければ班長さんや私に言う。嫌な気持ちにならないのであればそのままでも良い。」と言うことを伝えました。
長男としては嫌とかそこまで深く考えていないようで、私も小学生男子なんてよくふざけてたりじゃれたりしてるしこんなものなのかなぁ、なんて思っていましたが…ふと「もしかして長男ってすごく寛容なんじゃないか…?」そんな風に思いました。
受け取り方って誰でも人それぞれで、長男のようにそこまで気にしない子もいれば、すっごく嫌な気持ちになる子もいて。実際に同じことをされた子はすごく嫌だったようで、その兄弟のことを毛嫌いとまではいかなくとも良い印象を持たなくなったと言うことを聞いて。
親がこういった問題に介入するしないは別として、本当に受け取り方って人それぞれなんだな、子供だってこれだけあるんだから、生きている時間の長い大人であればなおさら色んな経験をしてきている訳で。
前にも記事で書きましたが、オタクにも色んな人や色んな考え方をする人がいて。
これからの時代、多様性を受け入れていこうと言う流れになってきているにも関わらず、相手を批判したり受け入れなかったり相いれなかったり、そう言うことがすごく多くて矛盾を感じることが多い、最近。
これからの時代、大事なのは寛容でいることと、あとはあまり多くを気にしない少しの鈍感力が大事になってくるのかもしれないなぁ、なんてことをぼんやり思いながら長男からまた1つ学んだ母なのでした。
それにしても物事1つ取っても受け取り方って三者三様で、大人が騒ぎ立てるようなことでも子供は良い意味でさほど気にしていなかったり。それはまた逆も然りで、子供がギャーギャー言うことは大人は気にしてなかったり。後者の場合は、子供にとっては小学校や家庭が今の世界の全てなんだし、それが悪いということではなく、当たり前なことなんだけどね。後者の内容がもしいじめだったりそういった問題だと話はもちろん違うし。
子供に関わる物事や問題に対して、割と大人って(少なくとも私は)どうしても大げさにというか大きく捉えがちで。それが悪いとか言うつもりもないんだけど、もう学校に通っているんだし、黙って見守ることもまた大切だなと。まぁそれが1番難しいことなんだけどねやっぱり。大人が介入することやすべき問題、そして子供たちだけで解決することやすべき問題。その塩梅がまぁ難しい。
いや〜、年々子育ての難しさを感じるね。別の意味で大変になってくるんだなと実感。
まして新しい生活様式も始まって、環境だけじゃなくて人間関係も新しい様式に変化していくのかななんて思うと、どんどん変化に対応していけるしなやかな心が必要だなと。コロナウイルスの影響でもう何もかも基準が変わってきていて。そんな不安定な世の中だからこそ、私自身がまず自分の核となる部分をブレずに持っていなければ、と強く思ったのでした。
後日談:この記事を書いて保存していたのは数日前なのですが、今日の朝そのやんちゃ兄弟と初めて話をしました。お兄ちゃんは敬語で話していて挨拶もちゃんとしている子だったので、周りに流されずに自分の目で見て確かめることが大事なんだなと再認識。
結論:自分の目で確かめたものしか私は信じない。
おわり 。