主婦が突然ボイメンのオタクになった話

名古屋の町おこしお兄さんBOYS AND MENの10周年を全力でお祝いするブログ。ボイメン以外のことを書くときもあります。

少しでも後悔のない人生を

どうも、ボイメン沼の住人okimaiです。

 

昨日は、どうしても外せない用事があり、このご時世だけど急遽羽田空港に。それは、オタク仲間が旦那様の単身赴任先である海外に旅立つことになったからだった。一昨日、彼女から急遽明後日に日本を離れることになったと連絡があり、このご時世だからと誰にも告げずに出発すると。

 

そんな悲しいことある?

私はコロナウイルスを心から憎んだ。

 

彼女は元々子供の幼稚園を通じて仲良くなり、私が布教したボイメンにどっぷり浸かってくれた友達で急に仲良くなったのが去年のこと。付き合いのある期間は短くとも、意気投合してしょっちゅう連絡を取っていて、うちにも泊まりに来てくれたり飲みに来てくれたりと、ママ友と言うよりも完全にオタク友達として付き合っていて。

 

そんな、オタクの一大事。

オタクである私が、彼女を見送らなくてどーする。

 

私は当日、今から羽田に向かうと彼女に連絡をして、大雨の首都高に乗った。寂しい気持ちをかき消すように大音量でボイメンを流しながら。当然、首都高はガラガラで1時間ほどで羽田に到着。すぐに国際線ターミナルで彼女と合流すると、彼女は私がプレゼントした推しのTシャツと靴下、手にはタオルを持っていて、かたや私も推しのTシャツ。

 

おい、最高かよ。

 

私は持って来た便箋4枚分もの手紙と機内で食べられそうなお菓子や軽食などを手渡し、彼女のご家族が一緒だったので写真を撮って少し喋ってから解散。湿っぽくなるのが嫌だったので、最後まで笑ってバイバイ。お互いに、必ず生きてまた日本で再会してボイメンのライブに行こうと約束をした。30分程度だったけど、やっぱり行ってよかった。

 

人生において、完全に後悔をしないと言う生き方は出来ないと私は思っていて、ならば少しでも後悔の少ないように生きて行こうと心に決めて過ごしている。また1つ、私は後悔のない選択をすることが出来た。もし私が昨日羽田に行ってなかったら、なぜ行かなかったのだろうとひどく後悔して自分を責めただろう。これから先、きっと私は昨日の出来事を忘れないと思う。

 

1つ、びっくりしたこと。彼女の長女と私の長男が幼稚園で同じクラスで本来ならきっとお友達がたくさん見送りに来ていたはずで、彼女も見送って欲しかっただろうなと思うと私はコロナを再度憎らしく思ったのだが、「久しぶりにパパに会える!!」と張り切る彼女はそれはそれは元気にしていて。新品で買ったばかりのランドセルも一緒に持って行くんだと、ぎゅうぎゅうに私物が詰められたそれを私に見せる姿はすっかり前を向いていて、そんな彼女のキラキラしている目を見ると、子供って本当に逞しいな。「可哀想」とか「悲しい」とか、何でも大人のものさしで物事を決めつけてはいけないな。と、これまでの6年と言う短い子育て歴の中でもわかっていたことではあったが、自戒の念も込めて改めて心に深く刻んだ。どうか、彼女たちが新たな土地でも楽しく過ごせますように。心からそう祈った。

 

それにしても、羽田の国際線ターミナルはガラガラでお客さんの数よりも職員の数の方が圧倒的に多かったし、何よりもインターのフライトはほぼキャンセル、いつもは長蛇の列であろうオープンしているカウンターにも人はまばらで、日本のみならず世界の冷え切った航空業界や観光業界が直面している問題を目の当たりにした気がした。夜の空港よりもひどいな、単純にそう思った。

 

これから一体どうなるんだろうか…と航空業界に身を置いた自分も不安に駆られたが、その不安をかき消すように見送った彼女の明るい未来を想像して、久しぶりにバリスタの作ったアイスカフェラテの幸福感に包まれながら土砂降りの羽田空港を後にした。

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パーキングから羽田空港国際線ターミナルまでの連絡通路

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土産店はおろかレストランも閉店で夜の空港を思わせる

 

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軒並み欠航を表示する案内板がガラガラの空港をより寂しくさせる